| 1870年 |
4月22日、国民学校視学官の子として、ヴォルガ河畔のシンビルスク(現ウリヤノフスク)に生まれる。 |
| 1887年 |
シンビルスク中学卒業。カザン大学法科入学。 兄のアレクサンドル・ウリアノフが皇帝(アレクサンドル3世)暗殺未遂事件で絞首刑。 |
| 1888年 |
学生運動に参加、逮捕放校となる。 |
| 1892年 |
独学でペテルブルグ大学の法科卒業検定試験に合格、弁護士補となる。 |
| 1893年 |
ペテルブルグに移り,マルクス主義指導者として活躍。 |
| 1895年 |
労働者階級解放闘争ペテルブルク同盟を結成。逮捕・投獄。 |
| 1897年 |
東部シベリアに流刑。 |
| 1897年 |
地下活動に入る。 |
| 1898年 |
クルプスカヤと結婚。 |
| 1900年 |
7月にスイスへ亡命。革命的マルクス主義党の創立に努力。 |
| 1901年 |
12月「ザリャー」(天映)誌上で初めてレーニン(レナ川の人)の署名を用いる。 |
| 1903年 |
ロンドンで開かれたロシア社会民主労働党第2回大会でボリシェヴィキを結成(後のロシア共産党)。 |
| 1905年 |
〜07年の第一次ロシア革命にあっては、ペテルブルク・フィンランドなどでこれを指導。 |
| 1907年 |
革命退潮とともに再び亡命,ジュネーヴ,パリなどにすごす。 |
| 1912年 |
プラハ会議でメンシェヴィキと決定的に分裂、ボリシェヴィキを独立の党とする。日刊紙「プラウダ」(真理)を創刊。 |
| 1917年 |
ロシア“二月”革命勃発後,4月にペトログラードに帰り、10カ条の「四月テーゼ」』を発表。社会主義革命への移行を訴える。 |
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“十月”革命を指導し、ソヴィエト権力を樹立。初代人民委員会議議長となる。 |
| 1918年 |
憲法制定会議を解散。ボリシェヴィキ(ソ連邦共産党)の一党独裁を確立。第1次ソヴィエト憲法を制定。 |
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内乱と干渉戦が勃発し、危機打開のために動員する戦時共産主義を実施。 |
| 1919年 |
コミンテルンを創設し国際主義的革命運動の結集をはかる。 |
| 1920年 |
ロシア電化国家委員会(ゴエルロ)を設置。内乱の鎮圧に成功。 |
| 1922年 |
病に倒れる。 |
| 1924年 |
1月21日、モスクワ郊外ゴルキ村において脳出血で死亡。 |